スポーツの暴力的指導の背景は?

暴力的指導の背景は?     啄木鳥私的考察
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〇なぜ精神主義が存在するのか?
 スポーツは過去のデータを収集し、分析し、検証し、そこから身体トレーニング法や練習法、技術や作戦を編み出し、それらを身に付けることによって進歩する。
(陸上の室伏選手や公務員ランナー川内選手のトレーニングや体操の内村選手のトレーニングを考えてみよう。)
 
 しかし、非科学的で非合理的な考えが入ることもある。それは、スポーツに対する「無知」が根底にある。
 データや情報が集まらなかったり、あっても理解できなかったりすると「精神主義」(気合や根性を入れればスポーツにおける進歩が得られる)が台頭する。
(女子レスリング浜口選手の父の演じるパフォーマンスや今回問題になったの五輪女子柔道監督の映像をじっくりと考えてみよう。)

〇なぜスポーツをするのか?
体育史的に見れば、このモチベーションは①神々のため②皇帝のため③民族のため④国家のため⑤郷土のため⑥母校のためと変化し、

 次の段階から ○家族のため○恋人のため○自分のためと 遠くにあるものから近くのものへと近づき、「自分自身のため」へと近年到達した。
 
 従前の「他者のため」にスポーツを行うことは、個人の力を発揮させる上で近道で有効な場合もあるが、非科学的な指導が入りやすく、単発的な結果で発展性が少ないと考える。

◎さらに、私見ではあるが、あの東日本大震災後、「自分自身のため」へと到達したスポーツへのモチベーションは三次元的に進化して、選手の「懸命なプレイする姿が他者にも幸福感を与えうる」という「スポーツの力」に気づき、選手の内なる「他者との絆」がフェアプレイ精神の賜物として認識されるに至ったのではないだろうか。と感じている。

〇体罰的指導からの離脱
 スポーツが「他者のため」に行われる場合、選手は「他者」の管理下におかれ、「罰の体系」によって支配される場合が多くなる。一定の成績を上げられない選手や練習でミスを繰り返す選手、指導者の望む闘志を表現するのが苦手な選手に対して、指導者や教師や監督(国家や母校といった「他者」の利益を追求し、実現するための存在)が、罰をくだし、罰を回避したいがためにスポーツに打ち込む形が生まれてくる。

◎これが今回の柔道ナショナルチームの選手たちが語る「あこがれていたナショナルチームとは違っていた指導内容」となっていたものであろう。辛辣に言えば、指導陣より選手の方がより科学的合理的なスポーツ観を持ち、フェアプレイの根底にある「ヒューマニズム」にあふれていたといえる。

 この「罰の体系」は当然「精神主義」がよりどころになり体罰的指導を生むこともある。
つまり、選手自身の利益を考える指導者なら、その指導内容は合理的で科学的なものとなり、「精神主義」に頼ることはなくなる。

 体罰的指導を生む背景には、「メダルのため」「伝統のため」「学校のため」「連覇のため」等の「他者の存在」や、罰を使って指導力やモチベーションを高めようとする、指導者の焦りもあるのではないだろうか。

◎それを客観的にみて方向を示すシステムやミッションが日本のスポーツ界には欠けていたと思う。古くから言われるが、指導者の心中に芽生えることのある「支配性」や「権力性」を自らが問い、戦い、乗り越えねばならないことを深く掘り下げる時代が到来している。

◎スポーツ技術の向上は、「苦しくて怖くて仕方がない」時と「楽しくてやる気があって仕方がない」時とどちらが進歩するかは指導者自身が身をもってわかっているはずである。

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 拙稿(H16):運動部活動の手引き(長野県高体連)
 「21世紀にふさわしい指導の観点を見出そう-生徒の実態の把握と目標設定」を参照
   http://www.ngn-hssp.org/koutairen/files/manual/manual20120404.pdf
   参考文献:「スポーツとは何か」玉木正之(2000年・講談社新書)から一部引用


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by fight-nagano | 2013-02-08 09:20 | 国体関連
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